時間の浪費考えるの面倒やしやめへん?
全ての読者とコンテナの友人、KKです。
今までの記事では、コンテナ学をはじめとする数多の学問の講義を行ってきましたが、今回は応用編です。学習してきたことを活かせるでしょうか。
題名にもある通り、今回のテーマは「早起きは三文の徳」と言うことわざについてです。有名なことわざですよね。しかし、古来から伝わるこのようなことわざや故事成語などには経験則や想像、宗教関連のこと、そして実際に起こったことなどが入り混じっているので少々厄介です。と言うことで、今回はこのことわざをいくつかの視点から見ていきましょう。
【アド学的視点】
このことわざの場合三文の3という数字はどんな意味を持つのでしょうか。結論から言いますと、三文だろうが四文だろうが一文だろうが、このことわざの意味である「早起きすることで、良いことがある」と言うことにはなんら影響ありません。だからと言って一億文とかにすると意味が変わってきます。三文を今の日本円にするといくらかは知りませんが、このことわざにおいてはその金銭的価値ではなく、「少しでもアドが取れる」ということが重要だからです。では、実際にどれくらいアドが取れるか計算してみましょう。
前日の夜から考えると、
早く寝る(活動時間が減る)-1アド
早く起きる(活動時間が増える)+1アド
健康に良い+1アド
基本アドは以上です。すでに+1アド取れています。さらに言うと、アドには短期的アドと長期的アドなるものがありまして一日の活動時間が増えたりするのは短期的アド、時間の浪費や生涯関わってくる健康などは長期的アドとなります。長期的アドを短期的アドで表す場合はその継続度を考慮して短期的アドとして計算できます。例えば一日目の健康に良い+1アドが5日目まで持ったとすると、5日間毎日+1アドと考えて良いのです。ですから、早起きは三文の徳どころではないことがお分かりいただけると思います。
【実質学的視点】
早起きは実質三文の徳ですから、早起きを三文と等価として考えることができます。三文払って早起きしたことにしたり、不必要に早起きしてアルバイトみたいにすることもできます。しかし前述の理由から三文の金銭的価値は非常に小さいので遅刻の取り消しくらいにしか使えません。
【実際学的視点】
実際に早起きすることでのみ、三文の徳を得る、と考えます。実質学で遅刻を取り消そうとしている学生に効果的です。
【でまかせ学的視点】
本当は早起きは三文の徳でない可能性があります。さすがに早起きもせず、徳もしていないとなると困った子猫ちゃんだ、という感じですがでまかせの実用度的には早起きをしていないが徳はしたもしくは、早起きをしたが徳をしなかったのどちらかです。ただ単に三文拾っただけか、早起きしても何もなかったので機嫌が悪いかでしょう。
今回はここで終了です。このようにコンテナ学を色々なことに応用できることがわかって頂けたでしょうか?参考になれば幸いです。
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