人はいつ死ぬと思う…?
父が死んだ。
偉大な父への追悼として本記事をしたためることとする。
(決して暇だったとか、通夜葬儀中に記事の内容を思いついたからみたいな邪な考えはない。)
お盆初日に姉から「父が倒れた。」と連絡があった。
父の居住地は大阪北部、その時私は友人と旅行で和歌山に来ていたので姉から続報があるまで一旦待機することにした。
仮に危篤の場合、すぐにでも大阪へ戻る必要があるが直近の大地震で電車のダイヤは乱れている上、辺境地のためタクシーも呼べないような場所。
友人は気のいい奴らなので、事情を説明すれば家まで送ると言ってくれるだろうが、折角の楽しい旅行の空気を冷やしたくなかった。
父は今までにバイクでコケて全身骨折をした時、高血圧で脳出血を起こし緊急搬送された時と、計2回死にかけており左半身に麻痺が残っているものの奇跡的に生き延びているため、今回もなんだかんだ大丈夫な可能性があったので一旦はそれに賭けてみることにした。
和歌山では友人たちがBBQのため絶賛火起こしの最中。なんならすぐにでも乾杯が執り行われそうな温度感。
正直気が気じゃなかった。
そして待つこと30分、最初のの連絡時点で父は既に死んでいたことを知らされた。
この時点でその日中に大阪に戻るメリットがなくなったので、父の死亡を隠したまま今回の和歌山旅行を楽しみきることを決めた。
気にせず楽しんでこいとイマジナリー父も言っていたし。
そして1泊2日の和歌山旅行を完遂、100%とは言わないが満足行く2日間だった。
そして翌20時実家に着き、検死を終えエンバーミングも済ませいつものベッドで横たわる父の遺体と対面。
21時には姉2人も帰ってきて母と姉2人、家族全員が揃った。
人が泣いている場にいると居た堪れなくなる私はベランダで1人黄昏ていた。
30分もベランダにいたせいでキンタマまで蚊に噛まれた。
さて父はと言うと、よく言えば優しい、悪く言えば頼りない父親だった。
ちゃんと怒られた記憶は、私が小学生の頃に夏休みの算数ドリルの宿題を全ページ適当に埋めたことがバレた時だけ。
(待ち望んだ長男坊の頭の出来がヤバすぎることを憂いたのかもしれない)
子供の教育方針は基本的に母の意見が素通りの一党独裁状態。野党仕事しろ。
そんな口数も少なく、背中で語るほど背中も厚くない父の家庭内政治方針は「母が夜勤の日に子供達に贅沢をさせる」ことだった。
TSUTAYAで漫画をレンタルし、帰りに31アイスクリームを食べる。隠し読みして次の母の夜勤に合わせて返却する。
言わば「鬼の居ぬ間の洗濯」なのだが、あの時間は今の私の人格形成に大きく影響していると思う。
ありがとう父、息子は今でもあの頃読み漁った漫画の内容を覚えているし、上手な嘘のつき方も学んだよ。
また、私が小〜中学生の頃、父と母は別居になっていた程の不仲で私は母から父のダメなところや愚痴を聞いて育ったが、父から母の文句を聞いたことは一度もなかった。
あれは「惚れた女の愚痴は言わない」なんてカッコいいものだったのか、頼りのない事なかれ主義であったのかは今となっては分からない。
そんな父は自宅で安らかに死んだらしい。
検死結果と第一発見者の母の情報を統合すると、
エアコンの効いた部屋で、好きだった高校野球を見ながら、好きなアイスを2つも食べ、愛犬に看取られながら。
どこまでが真実で、どこまでが生者の願望なのか放蕩息子目線では分からないがきっとそうなのだろう。
イマジナリー父もそう言っている。
P.S.
父の死をもって残る親世代は母親のみ。
父方の父母、母方の父母、父と計5回の肉親の葬儀に立ち会ってきた私からの願いです。
私の葬儀は立食パーティー形式にしてください。
通夜も葬儀も参列者はなくていいので私の骨を囲んで飲み会でもしてください。
戒名とかもなくていいのでその分参列者の足代にしてください。
私は死んだ後には何も残らないと思っている派の人間ですが、万が一化けて出られるならそちらの方が絶対楽しいので。
4/4 120bpm
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